人体とシュレディンガーの猫

こんばんは、ファイナルスタイル 福島店の田村です。

 

何を訳わかんない題名をつけてるんだとお怒りの方がいるかどうか分かりませんが、これはある方からのお題なのです。

 

屁理屈が嫌いな方におきましては、読まないでいただくという選択肢もあるということをお伝えしておきます。

 

不審に思われた方はツイッターのここから始まるスレッドをご覧ください。

 

陽炎カゲロウさんからのお題です。

 

「よくわからない人体」というものを「野口体操」と絡めて「シュレディンガーの猫」という方程式で解いてくれ。というものだと理解しました。ターゲットはメンズエステのセラピストと施術される者だと。

 

えーまず念のためにお断りしておきますが、僕は人体の詳細についても、野口体操の詳細も(今回初めて知った)よく知らず、さらにシュレディンガーの猫、については通常人の理解が及ぶかどうかさえちょっとわからない概念だということは知っています。ただ非常に有名な話なので、聞いたことはあります。それでどう論じるのだと言われると困るのですが、まずは聞いてください。

 

Wikipedia によれば野口体操というのは

重力などに抵抗するための筋力を鍛えるよりも、むしろ力を抜いて身体を動きや重さに任せることで無理なく力や素早さなどを最大限に引き出せることを発見。道具や玩具の動作など様々な観察もあわせ、さまざまな合理的かつ最大限に出力される身体の営み(体操)を見出していく。

 

という様なことが書かれており、これに関しては僕の体験的にも、ある程度頷ける話なのですね。

 

僕は前にも書いた通りメカニックを30年ほどしていて、何年も同じ様な動作をし続けた結果、自分の体でさえも工具と同じ様に扱い、効率よく動かさねば自分の体も工具と同じに損耗し、メンテナンスしなければ摩耗してそのうちに動けなくなってしまうだろう。との思いから自分の体の効率的な使い方について考える様になったのです。

 

その結果同じ働きをさせるのならば、極力筋力や関節を使わず、自分の体自体の重みや、慣性をうまく使うほかない。という結論に達しました。

 

その考えと同様なものを、野口体操の説明文に感じたのです。

 

 

シュレディンガーの猫については、皮肉さとギャグがいつも付き纏っています。

(僕は量子論についてまともに論ずるだけの頭は持っていません)

 

非常に小さい粒子、あまりに小さく比べたら原子でさえも大きすぎると感じる様な小ささ。そういう世界ではいくつかの相反する状況が同時に存在するという実験結果が出ていたのです。

 

それをベースにした論理に反論したのがシュレディンガーと言う人だったのですが。袋の中に猫がいたとして、袋を開けるという行為が、猫の生死に影響を与える場合。袋を開けるまで猫が死んでいるか生きているかを判別する方法はなく、現在の量子論的には、袋の中の猫は半分生きていて、半分死んでいるということになる。そんなことがあるはずがないだろう。

 

というのがシュレディンガーによる量子論への反論だったのですが、この反論があまりに有名になりすぎた結果、この反論を基にした新しい説明が出てきたりするなど、当初の反論のつもりは逆に量子論を有名にして、新しい展開を見せるなど皮肉な結果になった。というのが有名な話です。

 

これに付随するギャグとしてよく言われるのが、袋を開けるという行為が猫の生死に関わるのだから、開けなくても良いではないか?、棒で叩いてみて「ぎゃっ」と言えば生きてるのだし、なんの反応もなければ死んでいるのだから開ける必要はない。というのも有名な話ではないでしょうか?。

 

 

陽炎カゲロウさんとしては、(多分)よくわからない人体というものについて、このへんの理屈をうまく活用できないか?、ということかなと、想像します。

 

これに対して、長年複雑になり続ける機械を修理し続けた人間としては、人体というのは一定の理屈によって動く非常に複雑なメカニズムであり、現在はよくわからないながらもいずれはその全てが解明されるだろう。と思っています。

 

しかし人の体は機械とは違います。僕自身も常々セラピストさんが例えば力任せに施術する様なことを続ければ、手や、その関節。腰などに故障を抱えることは必然でそれを解消する様な体の使い方、メンテナンスを活用しなければ早期にリタイヤすることになりかねない。

 

という心配はしていました。そこに野口体操の良いところを取り入れれば、セラピストさんが施術と自分の体の使い方に対する理解が進めば体を痛めることもなくなるのではないかと、そう感じます。

 

受ける側の人についても、長年セラピストをしている方、あるいは人体に関して探究心のある方などは解剖学的な勉強をしているというのはよく聞く話です。

 

もし、よくわからない部分についても、人間には心とか感情という武器もあります。「手当て」という言葉があります。痛い部分に手をかざしあてがえば、痛いものが良くなる。ということから来ているとの説があります。

 

それはおそらく昔の人が感情で持って行なった結果、経験論的によくなるだろう、確か以前はこうしたらよくなった。などと経験を積んで行った結果から来るものだろうという気がします。

 

そしてそれは間違ってないと、僕は感じます。

 

叩いてみたら、何か反応が返ってくるかも知れないではないですか?。それを積み重ねて行く事によってセラピストさんの心に一定の経験が蓄積されるものと期待します。

 

ある程度近道する方法として、各種講習などがあるのだと思っています。再発明することはないのです。

 

 

ということで、これが僕の解釈ですがいかがでしょうか?、あんまり長く屁理屈を続けると僕も袋にされて棒で叩かれると嫌なので短めにまとめてみました。

 

みなさん、僕の屁理屈にお付き合いいただきまして、どうもありがとう。


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この記事を書いた人

メンズエステ店の運営をしておりましたが、今は一スタッフとしてやれることをしています。今できることを頑張るしかないよね。

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