こんにちは、ファイナルスタイル 福島店の田村です。
今日は3月11日、ちょうどいいので 3.11 の話をしましょう。
僕の出身は福島県南相馬市の鹿島区。震災当時は幸か不幸か生家ではなく相馬郡の新地町という所に住んでいました。
幸い僕と、僕の家族は被害に遭いませんでしたが、生家のあったところは津波で流され何も無くなってしまいました。
もし、と言ってもしょうがないことですがそこへ原発の事故です。もしも津波のことだけであったなら、たくさんの人は亡くなってしまいましたが残った人たちで協力して復興していくのに何の問題もなかったんじゃないかと思います。
原発と、避難、そしてその後の賠償金がそう言った協力していく気持ちを削り取ってしまったとそう思います。同じ被災者でありながらたくさん賠償金をもらったことを羨む人たち。仕方がないこととは言えいただいた賠償金によって、土地を押さえてしまうために賠償金をもらっていない津波被災者が土地を求められない問題。
被災者同士での差別化、悪口の言い合いのようなことが起こること。
ある意味では、震災よりもその後の方が問題なのかもしれません。非常時にはどうしてもその人の本性が現れます。いい人といい人の仮面を被っている人。普段であれば何の問題もないようなことが問題になってしまうこと。
今は場所によっては一見元のように綺麗な街になったように見えても、そこにはもう前と同じ人は住んでいないのです。復興とは何なのか、当たり前ですが元の状態に戻ることは2度とありません。
僕の好きだったのんびりしていて、田舎だけど人がよくて、自然が楽しめる僕の故郷はもうないのです。
それも仕方ないことです。
僕はボランティアとかはしていませんが普通に精一杯生きることが復興につながることだと思って頑張ってやってきました、地元ではもう十分にやったと思い、地元を離れて福島市に来てお店を立ち上げようとしています。
今回のコロナ騒動もそうですが、震災でさえいつどうなるか誰にもわかりません、その時に隣にいる人に手を差し伸べることができるでしょうか?、隣の子供からご飯を奪うようなことをしないと断言できるでしょうか?。
それが起きるのは明日かもしれません。
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